2009年6月8日月曜日

麻丘めぐみさん Ⅳ


麻丘めぐみさん Ⅳ
1970年代を象徴するアイドル歌手。チャーミングな容貌、お姫様カットの長い黒髪、抜群のスタイル、潤いを帯びた歌声で70年代を席巻。

前回よりの続き。
日本レコード大賞最優秀新人賞受賞

秋以降、色々な歌謡祭が開催されます。
まず新宿音楽祭で「芽ばえ」を歌い金賞を受賞します。
 
日本歌謡大賞では新人賞を逃しますが、めぐみさんは実はこういう音楽賞には興味がなかったそうです。めぐみさんは歌手になりたくてなりたくて、なったわけではありません。当時はスター誕生などのオーディション番組やプロダクションのオーディションで、新しいアイドルが誕生してきている時期です。このオーディション組の人たちは歌手になりたい、スターになりたい、アイドルになりたいという強い思いで芸能界に入ってきた人たちです。

めぐみさんは3歳で芸能界にデビューしましたが主に演劇の世界、モデルの世界を歩んできました。ただ音楽にぜんぜん触れていないかというとそうではありません。
小学校中学時代に色々なジャンルの歌や楽曲に触れてきました。お姉さんのレッスンを後ろで聞いていたこともよくあるそうです。そのためかもしれませんが、めぐみさんの歌には何気にこぶしが効くところがあるのです。
めぐみさんや家族はお姉さんがスターになることを願っていました。そしてお姉さんが歌の世界で苦労してきたところを見ていたため、めぐみさん自身、歌手になろうと思ったことはなかったそうです。そのため賞に対する執着心が、めぐみさんには無かったのです。

そして年末が近づく中、日本レコード大賞の新人賞を受賞します。受賞したのは、麻丘めぐみさん、赤い三角定規、郷ひろみさん、三善英史さん、森昌子さんの5組でした。この5組の中から大晦日の夜、日本レコード大賞最優秀新人賞が発表されます。
大晦日が近づくにつれ、下馬評がささやかれます、めぐみさんはデビュー曲の「芽ばえ」、セカンドシングルの「悲しみよこんにちは」の連続ヒットを出し最有力候補でしたが下馬評では急激に森昌子さん、三善英史さんに傾いて行きます。そこに郷ひろみさんが加わった三つどもえの戦いになると予想されるようになります。
大晦日の夜、いよいよ日本レコード大賞が始まります。しばらくすると新人賞受賞者の紹介になります。5組が登場して、歌の披露が始まります。トップバッターはめぐみさん、赤いミニのワンピースと、可愛い振り付けで「芽ばえ」を熱唱します。5組の披露が終わると、いったん退席。
番組の終盤で、最優秀新人賞、最優秀歌唱賞、レコード大賞の発表になります。ドラムの音と共に5組の受賞者がセリから上がってきます。そしてスポットライトが1つずつ消されていき、すべてのスポットライトが消された後、司会の高橋圭三さんが「麻丘めぐみさん」と名前を呼ばれました。めぐみさんにスポットライトが当たります。めぐみさんは一瞬キョトンとしていました。しばらくたってやっと笑顔になります。高橋圭三さんが、「めぐみちゃん、キョトンとしていらっしやいますが、どおぞどおぞ、それでは表彰式を執り行います」と、舞台中央に案内します。服部良一さんから表彰状と盾を授与されます。前年度最優秀新人賞を受賞した小柳ルミ子さんからブロンズ像を授与されます。高橋圭三さんが色々聞いても、「わかんない」を言うのが精一杯。この時めぐみさんは本当にパニックになっていたそうです。
「芽ばえ」をワンフレーズ歌ったところで、こみ上げてくる涙で歌えなくなってしまいました。千家先生が花束を持って駆けつけてくれます。
新人賞に涙の似合うよい時代でした。
 最優秀新人賞に関する下馬評は、めぐみさんにも聞こえていたはずで、めぐみさん自身、最優秀新人賞を受賞できるとは思っていなかったそうです。名前を呼ばれた時、本当に驚いたようで、目を見開いてビックリしていました。

1972年大晦日の夜、めぐみさんは日本レコード大賞最優秀新人賞に輝き、「麻丘めぐみ」フアンにとっては、最高の一日を過ごすことが出来ました。
(次回に続く) (敬称略)
(今号以降は不定期になります。)

参考資料、麻丘めぐみ応援会HP、めぐカコさんのブログ「麻丘めぐみアルバム」、Premium BOX ライナーノーツ、他