2024年1月13日土曜日

心筋梗塞

朝の天気は雪。日中も雪です。大雪警報が初れてされています。
朝の積雪は29cm。夜の積雪は61cmになりました。

1月5日以来の書き込みです。
PCが壊れたわけじゃありません。
壊れたのは、私の体。
恥をさらして、顛末記を書きます。
今思えば、症状は昨年末から出ていたのでしょう。
症状が強くなったのは新年1月3日夜から。
顎から喉、胸にかけて鈍痛があり、げっぷが頻繁にあり、胃酸も上がってくることがあります。
この傾向は年末から徐々にありました。
胸焼けですね。
そのため、逆流性食道炎かもと思っていました。
4日に日付が変わっても症状はひどく、眠れの時間を過ぎします。
未明になって、痛み止めなどを飲むと、少し楽になります。
4日は10時から仕事に行くも、体調が悪く11時に早退、そのまま病院に行きます。
血液検査に胸の写真、CTを撮影。逆流性食道炎の可能性が高いということで、薬を飲むと、1時間もすると楽になりました。
4日の夜は、ぐっすりと寝れました。
5日も体調はまずまず。
お昼から仕事です。
そして、5日の夜も寝付けたのですが、6日未明に体調が悪化、薬を飲んでもあまり効果がありません。
朝食を食べて薬を飲んでも改善しません。
お昼を過ぎてから、知人のTさんに電話して相談します。
病院に行って、もっと効果のある薬を出してもらったほうが良いということで、町内の病院に電話して確認します。
6日は土曜日で休診ですが、当直の先生が対応できる方だったので、すぐ来るよう言われ、急いで病院に向かいました。
当直の先生は以前の検査結果を見て、心電図が昨年の7月以来検査をしていないので、検査しましょうということで、心電図を取りました。
その結果が出た直後です。
心筋梗塞で、いつ心臓が止まってもおかしくない、と言います。
青天の霹靂です。
頭の中では心臓止まったらどうしようとか、いろいろなことが、走馬灯のごとく駆け巡ります。
先生は、すぐに長野市内のC病院に心筋梗塞の患者の受け入れができるかどうか、問い合わせしてくれます。
受け入れができるということで、看護師さんが救急車の手配をします。
この時、すぐに妹に、心筋梗塞で救急車でC病院に運ばれると連絡します。
しばらくすると、救急車が到着。
ストレッチャーに乗せられ、車内へ、看護師さんが検査結果を救急隊員に渡しています。
病院を出るとサイレンを鳴らしながら国道18号を走ります。
時々救急隊員の方が話しかけてくれます。
途中から県道長野信濃線に入ります。
ここは、坂中を降りるまでカーブが連続します。
降りきると長野市内です。
市内に入ると信号がたくさんありますが、サイレンの音を聞いて、譲ってくれます。
そして、救急隊員の方も、慎重に、かつ急いで運転してくれます。
本当に有り難いことです。
30分ほどでC病院救急入口に到着、救急車を下ろされた直後に、新型コロナとインフルエンザの検査です。
本来は検査結果が出てから院内に入るようですが、すぐ救急処置室に運び込まれました。
ベットを移った後、上半身を捲し上げて心電計の電極を取り付けます。
結果は間違いなく心筋梗塞という結果で、医師が心筋梗塞です、と言った瞬間、ベットの周りにいた看護師さんが、一斉に動き始めます。
それからは怒涛の時間でした。
もう身を任せることしかできません。
ズボンとパンツと靴下を一気に脱がされます。
上に着ていたものは、はじめハサミで切ってもよいですかと聞かれたので、良いですと答えたのですが、これも、まとめて脱がされました。
鼻には酸素のチューブが取り付けられます、
薬を一錠飲まされます。
右手には点滴二本をするため、二か所に針を刺されます。
左手からは採血し、その後、血圧計を巻かれました。
その間に、もう一錠飲まされます。今度はかみ砕くよう言われます。
それと同時進行で、胸のX線写真の撮影もします
そして、看護師さんが、しばらくトイレに行けなくなるので、おしっこの管を入れます、と言います。
一瞬過去のトラウマが頭をよぎります。
昔、入れる時も痛かったし、入っている間、違和感に悩まされました。
そんなことを思っていると、消毒を数回され、カテーテルを挿入されましたが、途中からは入っていく感覚もありません。
膀胱まで入ると、おしっこが出てくるので、わかるんですね。
その後は、抜けないよう処置されます。
今回の尿道カテーテルは、入れる時も痛くなかったし、入った後、違和感を全然感じませんでした。
入っているのが分かりません。
素材の進歩がすごいのか、私の尿道が超ウルトラ鈍感なのかどっちかです。
そして、紙おむつを付けられ、心臓カテーテル室に移動です。

今日は、ここまで。 ①